昭和四十五年二月八日 特別奉修委員に対するご教話


 御祈念にかからせて頂く前に、久冨さんのお届けに、大変さみしいお知らせを頂いたと。『みどりさんって言う一番下の娘さんが亡くなられ、お墓を頂かれた、みどりさんのお墓を。そして、大きな杉の木々(ぼくぼく)を頂かれた』と。松にたいする杉ということですかね。いわゆる杉はさみしいという意味のことを頂くんですけれども。やっぱりそんなお知らせ頂くなら、誰でも心がやっぱさみしい、真っ黒〔に〕なりますはね。
 けれども、その朝の御理解が「金の神の大徳に漏るるところはなきことぞ」というみ教えをね、ふと思い出させて頂いて、例え死んだちゃ、お墓になるようなことになったちゃ、やはり天地金乃神様のおかげを受けなければならない。神様のふところの中だなぁと思うたら、反対にお礼を申し上げる心が生まれてきたとこういう訳です。
 私は、もう信心は、これだと思うですね。もう、私が最近申しております、こういう信心を内容としてです、例えば、一にも神様、二にも神様といったような迫力をですね、又は、お詫びに徹するとかね、又は、痛い痒いなら痛い痒いを願わなければおられない切実なものがあるから、願うこともよかろうということなのであって、もう信心の根本はここんところを、まず把握し体得する為に、信心の稽古をしておるということになるのじゃないだろうかと思いますね。
 そのことを、お礼を申させて頂いておられましたらですね、次に頂いておることが『にっしょう、日が昇る』ということ。ですから、そういうひとつのシステムですよね、天地には。
 例えば、この方の道は、喜びで開けた道だから、喜べば苦労はさせんとおっしゃるのは、天地のシステムなんです。そういう決まりなんです。そういう規則になっているんです。ですから、どうでも、又、教祖は思い替えをしてと、こう思い替えということをね。
 どんな難儀な事があっても、それでもまあだまあだ、あれも思いこれも思いすりゃ、まあだおかげ頂いとる〔と〕、思い替えをしていけ、とこうおっしゃるんです。
 それなんかも、やはり序の口の稽古ですよ。思い替えをしながら稽古していく。同時に、例えば、朝の御理解が生き生きとして、久冨さんの場合生きとりますですね、本当に金の神の大徳に漏れるところはないんだもの。
 私ども豊美が中学校の時に、海水浴にまいりました。夜の御祈念がすんでも帰って来ませんもん。家内が心配してから、お届け〔した〕。やっぱ、私も聞いてから非常にあの年は、海水浴での水死のあれが多い時でしたがね、やっぱ最悪の時のことを考えますもんですから、それで御取次すぐさせて頂いてから、お願いさせて頂きました。
 『海の底とて神のふところぞ』と頂ました。たとえ、海の底にあっても神のふところぞ、こういう<ことです>。本当に、そうよと思うたらね(笑)、心が楽に〔なって〕、それから二十分ばかりしたら帰って〔まいりました〕。他の方達、皆んな送ってもろうてから、帰って来たんです。何かの事情で遅くなっとった訳なんですね。
 というようにですね、私どもはね、もう金光様の御信心は、ここがですね。日々の起きてくる問題の中から、そこに取り組んで頂いていく以外にはないとですよ。
 今、そんことの前でしたけど、御祈念前に井上さんがお届けされる。「もう、家庭の中が子供と年寄り、主人までも、この頃、信心の話でもちきりだ」ち言うんです。もう、何かがあると、すぐ教えの話がでてくる。信心の話がでてくる。今朝の御理解の話がでてくる。それが、もう有り難い、有り難いものになってくる訳ですね。
 ですから、そういう私は雰囲気、私は皆さんに申しました。問題は、そういう雰囲気がね、家庭の中に持たれるということが、今の合楽のもう理想郷なんだと。もう、和賀心時代っていうのは、それなんだと。そこを作って、そういう和賀心。そういう喜びの心がですね、次のいわば迫力ともなってくる。世のお役に立つということにまでなってくるような働きに、勿論なってこなければなりませんけれどね。
 只、それをマイホ-ム的なおかげと、合楽の場合はしてないところが有り難いんですね。だから、それでは、又、あまりね、只、別に金に不自由する訳でもなし、健康でもある。こげなおかげ頂いておるというてですね、内々の者が喜びを合うとるといったようなことでは、もうこれはいけません。いつんな、どういうな、例えば今、久冨さんじゃないけれども、最愛の娘が亡くなるといったような事にもならんと限らないんですから。
 そういう時にですたい、やはり迫力のある修行をさせてもらっとかんと、一にも神様、二にも神様といったようなね。もう、信心に迫力を抜いたら、もう、おしまいです。
 ですから、そういう迫力の向こうに、いわば、でけた、例えば、そんなら、井上さんあたりの場合でも、久冨さんあたりの場合でもですね、例えば、なら、寒修行なら寒修行の、やはり抜かれるという、そういう迫力が、いよいよの時に、そういう結果になって出て来るんじゃないでしょうかね。
 ですから、私は、金光様の御信心は、本当に、例えば、そういうことになっても、神様の、いわゆる、金の神の大徳に漏れることはなきことぞ、と思うたら、いわば、それが、本当、これはかえってお礼を申し上げねばならんことで、ということになってきとるです。
 そしたら、次には『にっしょう』、日が朝日が昇るということなんです。それが、そういうおかげにつながることになっとるのが金光様の御信心の、いわばシステムなんですね。ですから、お互い一つお繰り合わせを頂かしてもらわんならん。
 例えばね、家庭の小さい問題の中にでもですね、いろいろあるとですよね、お互い。もう、先生のお話し聞いとると、<そんな事>じゃなかばってん、こういう微妙なデリケ-トな問題が、やっぱあるですけど、その問題一つ一つにですね、生き生きと神様の命をね、こう入って行く程しのおかげになってこにゃいけんと思うですね。
 皆さん、おばあちゃんが、朝のお食事の後の後じまいを、おばあちゃんの役目でなさるそうです。綺麗に洗いよるならいいけども、おふきんやらをいきなり、こうどびん、こうかけて手をふきよんなさる。ちゃんと、おふきん掛けが、こうある訳なんです。言うても、言うても、やっぱそうなさる。もう、昔からの習慣なんですね、年寄りは。【   】ても、それが入る。「もう、おばあちゃん、これは、そげなことしたらいかんばい」ち、いくら言うたっちゃ、やっぱそうする訳なんですよね。
 それから井上さん、ある時、一寸思われたことはね、ああほんなこて私、ここのお炊事場のここば通るたんびに、ここにしたっちゃたち、それを、ひょいとひっ掛けるりゃ誰もどういうこと〔も〕いらんとやけん、ばあちゃんに言うたってでけんもんばね、自分がすりゃよかっじゃからと思うたら、それが、いっちょん気にならんごとなったと、こういう訳なんです。
 私は、そういう問題は、もう、うちの中にたくさんあると思うですよ。皆さんの場合は、子供に、又は、嫁ごに、息子にですかね。もう、自分が一寸すりゃ、あんたばっかりは、ずっとこげんしちからと言う前、言わんでも済むおかげです、いわゆる。
 そして自分がさせて頂くという事が、有り難いという信心にですね、私がならして頂くということがね、私は、そういう、もう、既に和賀心のおかげを頂いとるからでけるのだということなんです。
 そしたらですね、もう、いつのことか知らんけれども、この頃、ばあちゃんがキチッとそれをさっしゃるごとなったち。
 もう本当に、例えば、「もう先生、これはね、一つの例であって、一時が万事に家庭の中にそういう雰囲気でいっぱいです」ち。「今迄、主人が風邪を引いた、熱が出た、御神酒頂きなさい」等と言うと、「熱があっとに、どうして酒やら飲むか」ち(笑)。それはそうですよね、常識から言うと。そしたら、最近じゃね、御神酒様と言われ、御神米と言われる。
 去年、一昨年頃迄は、それこそ、こげななかに朝ほうからげちから、寒修行にでん参るかちゅうのが御主人だった。去年は、それが、段々緩和してまいりましたね。お参りされることに。そういうことは、全然言われんようになった。今年は、「もう、遅いぞ」と。「ほれ、もう時間じゃが。お前、早う起きて参らな」というようにですね、信心の内容が変わってくるに従って、家庭の中がそういうことになって来ているんです。
 どうでも、ひとつマイホ-ム時代という意味ではない。もうひとつ高度のね、和賀心時代が自分の心の中に、我が家庭にね頂かせて頂けるおかげ。そして、例えば、久冨さんのそれじゃないけれども、最愛の娘が亡くなったとゆうような、亡くなる、お墓になるぞっといったようなお知らせを頂かれてもですね、

(テ-プ末尾切れ)